『世界に開かれた音楽』

 沖縄における「うた」の歴史は、オモロに始まるといえる。オモロとは沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」にある歌謡のことである。祭りの場を中心にうたわれたものが歌謡化したもので、宗教色の濃いものであった。オモロ以降の歌謡は単に「うた」と呼ばれていたが、1609年の薩摩侵入後、本土の唄と区別するために「琉歌」と呼ばれた。 17世紀初頭、オモロの衰退とともに叙情歌がうまれる。15世紀にはすでに伝えられたといわれる三線(サンシン)の普及と、王府の芸能奨励も手伝い、琉歌は飛躍的に発展する。この頃できたものが、琉球古典音楽である。 これがすぐに、現在の民謡と結びつくものではない。宮廷での音楽は「唄」に重点がおかれ、伴奏はただ音を支えていれば良いという考えだったため、三線のパートは比較的容易なものにとどまっていた。 一方、庶民の間では、逆に三線の方に重点がおかれた。庶民の間で歌われた民謡はやがて三線の伴奏により、広く人々の暮らしの中にとけこんでいった。現在歌われている島唄は、この頃に原形をみることができる。沖縄の音楽は「ドミファソシド」(ミとシがフラット♭)の琉球音階と呼ばれるもので、本土の民謡の「ドミファソシド」と違う、独自の音階である。古典音楽の中では、中国の影響をうけた。律音階(ドレファソラド)もあるが、大部分は琉球音階で構成されている。琉球音階はバリトンなどのペロッグ音階、ベトナム山岳部・ビルマ・インド東部・ミクロネシアなどの音階と同じ構造だともいわれている。  

 

沖縄県観光情報ファイル
美島より